【体験記】田舎から大都会へ!初めてのアメリカ 初めてのロサンゼルス

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【体験記】卒業後はどうしよう?進路について悩んでみたり、卒業できるか焦ってみたり...

2017.08.07

カナダでの高校留学を終えた後、次の留学先はアメリカのロサンゼルスになります。

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ロサンゼルスでの留学生活スタート

誰もが知っているアメリカ西海岸最大の都市であるロサンゼルスは約380万人、その内日本人の人口は約10万人と、カナダのビクトリアから移り住んだ僕にとっては、全てにおいてスケールが大きく、また、映画や音楽産業としても有名なエンタメの街なのです。

そんなわけで、夢と誘惑と活気に満ちたロサンゼルスでの留学体験記をスタートしたいと思います。

初めての一人暮らし

1999年12月の暮れに僕は、LAに到着しました。
今までカナダのビクトリアと言う小さな小さな街で暮らしていた僕にとって、LAはとてつもなく大きく、期待と不安が入り混じった独特の緊張感があったことを覚えています。

そんな中このアメリカ留学を機に楽しみにしていたことが一つあります。

それは、初めての一人暮らし
カナダでは未成年と言うこともあり、3年間ホームステイをしていましたが、LA生活からはアパートを借りて1人暮らし。
ルームメイトやシェアハウスと言う選択肢もありましたが、当時の僕は、憧れの一人暮らしがしたくて堪らなく、多少条件が悪くてもとにかく1人で生活をしてみたかったのです。

今思うと、自分で稼ぎもないくせに、ワガママと意固地で親のスネをかじり倒していた大馬鹿ものです...

LAで最初に通った学校は、Los Angeles City Collegeと言うコミュニティカレッジで、コリアタウンとリトルアルメニアに挟まれた場所にある学校で、この近くに最初のアパートを借りました。

当時は家賃$500(約55,000円)くらいのStudioタイプのアパートで、多少ぼろかったけど、学校への便が良いのと、近くにスーパーがあったので、もう即決でした。

白人はどこ?

日本でロサンゼルスが特集される時って、主にサンタモニカビバリーヒルズなどの高級住宅街を中心にフォーカスされますが、LAと言っても広く、また、人種のるつぼと言われるくらい多国籍の人々が住んでいますので、ちょっと住むところ間違えると白人の人口は一気に減ります。

僕が住んでいた地域は、韓国タウンとアルメニアタウンに挟まれた場所にあり、住民の多くは、韓国人や、アルメニア人、そしてメキシコ人など様々でした。
また、街で見かけるお店の看板は、韓国語やスペイン語の割合が多く、なんか、色んな意味で複雑でした(笑)

ちなみに通っていた学校のキャンパスでも、見かける多くはメキシコ人と韓国人ばかりで、

ここはアメリカなの?」と何度も疑った記憶があります。

巨大なコリアタウン

カナダで暮らしていた頃は、学校でも街でも見かける人種の多くは、ヨーロッパ系の白人。
韓国人や南米出身の留学生は結構いたけど、やはりマイノリティって感じでした。

でも、LAにおけるコリアタウン(韓国街)は、アジア系のコミュニティの中では最大級で、コリアタウンに行ったことある方なら分かると思うけど、英語の割合の方が少ないんじゃない?って言うくらい、あちこちにハングル文字。
本格的な韓国の家庭料理レストランに行くと、従業員も韓国人ばかりで英語が話せない人が結構居たりと、すごいことになってます。

コリアタウンはその規模の大きさから、ある意味独立したコミュニティとなっているので、韓国人であれば、住まいからお店、医療機関など全て韓国に住む韓国人と同じように暮らせる環境があります。(日本人コミュニティも各所に点在しており、日本風の暮らしもできますが、やはりコリアタウンの比ではありません。)

また、コリアタウンに住むほとんどの韓国人は、韓国からの移民であり、グリーンカードホルダーが多いです。
移民と言う制度に疎いわれわれ日本人にとって、海外に移住すると言う感覚ってあまり分からないと思いますが、韓国だけでなく、中国や東南アジア圏の方たちは世界中に住んでいて、彼ら独自のネットワークを持っています。
なので、移民しているアジア人は、必ずと言っていいほど、「叔父さん」や「叔母さん」と言った親戚が近くに住んでいたりします。

これ、結構あるあるです。

また、もう1つLAあるあるとして、LAに住んでいると、簡単な韓国語や、スペイン語が話せるようになる。
そこら中で日常的に韓国語とスペイン語を見たり聞いたりするので、知らない内に、覚えてしまうって言うパターンですね。

気になる治安は?

僕がLAに住み始めた頃は、80年代~90年代初期と比べるとだいぶ治安が良くなったと言われていますが、やはりカナダの田舎町から出てきた僕にとっては、慣れるまで毎日が不安でした。

何が怖いって、毎晩LAPDのヘリコプターがサーチライトを照らしてパトロールしているので、青い光が窓を照らしたり、夜中必ず路駐してある車のセキュリティアラームがなぜか鳴り出したり…(酔っ払いがいたずらして車を揺らしているのか、ガチの盗難未遂か分かりませんが。)
あと、何度か銃声も聞いたことがあります。

以前、LA留学に関する本を立ち読みしたとき、住まいの見つけ方のポイントとして、「安全はお金で買う街」みたいなことが書かれていました。

う~ん、納得。

もちろん人種や地域について差別的な発言はしたくないけど、日本と比べると確実に貧富の差が激しく、低所得者の集まる地域が存在し、また、それらの地域は治安もあまり良くありません。

まあ、僕の住んでいた地域は、LAの中では比較的安全な方だったと後から分かるんだけど、今までにない環境に最初は少しビビっていました…
田舎での生活がいかに恵まれて温暖だったのかを知り、ある種、大人の階段を一歩登らされたような感覚でした。

LA体験記の1回目は、こんな感じで街の背景を中心に書いて終わってしまいました。
次回は、アメリカのコミュニティカレッジについて僕なりの経験も踏まえてご紹介したいと思います。

続きはコチラ(↓)

【体験記】短大とは全く異なるアメリカのコミュニティカレッジ

2017.08.17
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